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タイトル『しがみつかない生き方』
著者 香山リカ 発行所幻冬舎 発行日2009年7月30日 定価740円+税

 図書館で思わず手に取ってみたのは、副題に"「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール"とあったため。特に「ふつうの幸せ」にという言葉がひっかかった。最近、どうも「幸せ」とか「幸福」とかの文字が目につくようになった。自分が特に幸せだとか、不幸せだと思っているわけではない。ただ、就職活動をしている学生と接していると、彼らが「幸せ」とか「不幸せ」という感情の渦の中にいることはわかる。そのせいで、「幸せ」とか「幸福」という言葉に私自身が敏感になっているのかもしれない。
 さて、著者の、香山さんは評論家の勝間さんとのディベートで話題を呼んだ人だ。この本の中でもそうだが、香山さんの主張は強い人ばかりではない、弱い人だっている、そいう人に向かって頑張れといったところで、意味をなさないというところにあると思う。
 まあ、これも、どちらが正しいという議論ではない。この本のタイトルだって『しがみつく生き方』なんてものがあってもいい。自分がたいして努力もしないのに、人が頑張っているとか、愚直に努力することを馬鹿にするような気分もあるからだ。
 幸せはある水準や基準が目に見える尺度であるものではない。私は、一人ひとりの温度計みたいのものだと思う。つまり、20度の幸せもあれば24度の幸せもあるみたいな。
 まあ、心が晴れ晴れしない人がこの本を読んですっきりするかどうかはわからないが、慰みにはなるかもしれない。(2010/06/013)


タイトル『不幸な国の幸福論』
著者 加賀乙彦 発行所集英社新書 発行年2009年12月21日 定価 本体720円+税
 
 久しぶりに読みごたえのある本に出会った。しかも、内容がとてもわかりやすく、読みやすい本である。車でドライブ中に、たまたまつけたラジオから加賀さんの声が流れて来て、この本が上梓された背景などをアナウンサーが聞いていた。隣に乗っていた妻に本の題名のメモをとってもらった。
 ここでいう不幸な国とは、いまの日本のことである。著者は、幸福というものには定義がつけられないこと、つまり、受け止め方次第で不幸に感じたり、幸福に感じたりするものだという。幸福の源は希望を抱き続けることだという。
 また、先人に学ぶ事例として、ハンセン病患者の支援に取り組んだ神谷美恵子さんやアウシュビッツの強制収容所から奇跡的に生還したV・フランクルさんの著書も紹介されている。
 いまの社会は他人の目線を意識すること(させられること)、人と比べてしまうことが蔓延しているように思う。やはり、あたりまえのことであるが、「自分は自分」ととらえていたほうが生きやすい。内なる自分に従う、つまりインサイドアウトだ。アウトサイドインになっては窮屈になるだけである。
 この本を読んでいると、多角的な視点を持つことの重要性を再認識させられる。自分の信念だと思うことが、実は自分の思い込みに過ぎないことがよくある。道は一つではないのだ。不安にかられている人、イライラ感が高い人、挫折感のある人、引きこもりの人、なかなか行動出来ない人などにお薦めしたい本である。(2010/02/28)



タイトル『学生と変える大学教育』
〜FDを楽しむという発想〜
編著清水 亮 橋本 勝 松本 美奈  出版者ナカニシヤ出版 発行日2009年2月28日 定価3200円+税
 副題のFDはファカルディ・デヘロップメントの略称で、教員の授業内容や教育方法などの改善・向上を目的とした組織的な取り組みの総称である。もともとは北米で使われてきた用語であるが、2008年文科省が大学への取り組みを義務付けたときに取り入れられた。
 今、大学はいわゆる全入時代を迎えて、大学間の生き残りをかけて改革に取り組んでいる。この本はそんな真っ只中に発行されたもので、大学に限らず教育に携わる人には是非読んでいただきたい。
 私にとってはとても新鮮に思えた取り組み事例の一部を紹介しよう。
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私は、授業中、寝ている学生にこれまでただの一度も注意したことがない。遅刻や授業途中での抜け出しも一切注意しない。それぞれ何らかの事情があって、そうなったのかもしれないからである。むろん、単なる怠惰からかもしれないが、それならそれで授業に対する魅力の乏しさがもたらしている「静かな抵抗」と捉えたい。その一方で、私は私語にはかなり厳しい。私語はせっかく学ぶ気になっている他の受講者の権利侵害にあたると考えるからである。
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どうでしょうか。この考え方にとても共感する。大学も学生という顧客に満足を与えているかという視点が欠かせない。教員も教えてやるといった態度では学生からは真の支持は得られないというものだ。
(2010/02/02)



タイトル『生きててもいいかしら?』
 
著者田口ランディ 板橋興宗 発行所東京書籍 発行日2008年6月4日 定価1200円+税
 板橋さんは1927年宮城県生まれで現在は越前市御誕生寺住職である。
田口さんとの対談形式で書かれている本である。とりわけ板橋住職の含蓄ある言葉が印象的だったので、以下、いくつか紹介したい。

・生きる意味とか、価値とかをよく問題にするんですが、私に言わせれば、その質問自体がナンセンスです。息していて生きているのに、生きる価値があるかどうかを問えません。なんで生きているかといえば、死ぬのが嫌だからです。

・「愚痴を愚痴らない」 考えてもしかだがないことをグチグチ考えることが愚痴。

・「魚と水のたとえ」 魚は生まれたときからずっと海の中ですから、そこが水の中だということに気づきません。魚はそこが水であることを知らないです。なのに、喉が渇いたといって海の中で水を探していたらどうでしょう。そこに安心(あんじん)はない。そんな愚かなことはない。それを人間がやっている。極楽の世の中にあって極楽を渇望している。

・生きていること自体が極楽。息をしていることも。苦しみがあっても、その苦しみがそのまま楽しみ。この世以外に極楽はありません。頭の中で描いた極楽を求めているかぎり、迷いの連続です。頭の中でなく、現実に息をし、聞いている、見ている、この現実以外に事実はないということを知ること。これが解脱です。

田口さんの本も初めて読んだが、なかなか面白そうな人である。
(2009/11/14)



タイトル『巡礼』

 著者橋本 治 発行所新潮社 発行日2009年8月29日 定価1400円+税
 この本を読もうと思ったきっかけは、新聞に載っていた本の紹介記事だった。ゴミ屋敷に住む老人の男の物語であり、男はなぜ、ゴミ屋敷の主になったのかと書かれていた。
 以前、テレビ番組でゴミ屋敷に住む老人の女が話題になり、テレビカメラとレポーターたちや出演者がいわば、覗き見的な視聴者を意識して発言していることがあった。
 それと、最近、住民が家の周りを片づけないで、公道にも物がはみ出しているのに我慢できず、隣に住む老人が相手を包丁で刺した事件があった。そんなことも読んでみたいという動機になった。
 高齢化社会を迎えている今日、一人の老人がどう生きてきたのか、どんな思いで日々暮らしていこうとしているのかを探りたくて購入した。
 この主人公は戦争が終わった時には、中学一年生という設定なので、生まれは昭和ひとけた世代ということになる。親からの金物屋を継ぎ、時代を見越して次の手を打ち、結婚もして子供も設けたが、妻が家を出てから歯車が狂いだす。
 この本はゴミ問題を題材にしているが、本質的には地位社会での人間関係、親子や夫婦や兄弟などの家族関係の問題がテーマである。
 最終章のタイトルは、この本の題名になっている「巡礼」である。ゴミを片づけて、弟と巡礼に出るのだが、これが男の死出の旅となる。死を迎えるという重苦しさを予感させる最終章であるが、違った。むしろ、読み終えて爽涼感さえ覚えた。(2009/10/10)



タイトル『ゴルフ「ビジョン54」の哲学』
 著者ピア・ニールソン&リン・マリオット ロン・シラク 村山美雪訳 発行所ランダムハウス講談社 定価1600円+税
 この本に出会ったきっかけは、プロゴルファーの宮里藍に関する情報記事のなかに、彼女の愛読書の一つと紹介されていたことによる。ここ数年、宮里選手のゴルフに対する向き合い方が変わってきた、進化していると思っていた。具体的には、ミスショットしたときの彼女の表情、態度が変わらず、淡々としていることである。そして、インタビューでは、常にプラス思考で発言していることである。だれか彼女にコーチが付いているのではないかと思った。コーチといっても、ゴルフの技術のコーチではなく、コーチングのコーチである。
 そして、この本を早速買って読んでみた。読んで、最近の彼女のゴルフに対する姿勢が変わった理由がよく理解できた。彼女はプロゴルファーとして、常に優勝を目指して、スイングやパットなどの技術の向上に一生懸命に取り組んできた。しかし、一時期アメリカツァーで大スランプに陥っていたという。そのときに、プロゴルファーのアニカ・ソレンスタムに出会い、この本に出会ったという。そこで、アニカから学んだことは、常に平常心でいることだという。ゴルファー宮里藍のまえに一人の人間宮里藍である、という当たり前のことに彼女が気がついたのではないかと思う。
 だから、この本はゴルフの腕前を上げたいときに示唆を与えてくれる本であり、人生を考える本でもある。ゴルフはその人の内面がよくでるスポーツとかメンタルなことが影響を及ぼすスポーツといわれている。ゴルフは自然、コース、相手と戦っているのだが、本当に戦っているのは自分と戦っているのである。
 このタイトルの「ビジョン54」は、ワンラウンドつまり72ホール全てをバーディーで回れば、スコアは54になるというところから付けられた。このスコアはまだ誰もなしえていないスコアであるが、絶対不可能ということではない。自分で自分に限界を言い聞かせないように、宮里選手はサインに「Ai54」と書くそうだ。
 さて、自分のビジョン54はなににしようか。(2009/09/12)


タイトル『日本米国中国団塊の世代』

 編著堺屋太一 著者ステファン・G・マーグル 葛 慧芬 林 暁光 浅川 港
 発行所出版文化社 発行日2009年3月29日 定価1600円+税

 

 帯には、「堺屋太一の『団塊の世代論』集大成!」となっている。堺屋さんといえば、多くの人が知っている『団塊の世代』のベストセラー作家である。私はサラリーマンとして数年後にこの本を買っている。以来、この本は私にとって、自分の生き方を考えたり、なにかに迷ったりしたとき、心の支えになってきたする。幾多の転勤にも話さず本棚に保存してあり、いまでも、ときおり、手に取る。
 その堺屋さんが、今度は、日本の団塊世代だけでなく、アメリカ、中国の団塊世代が生きてきた道を俯瞰しようとプロデュースしたものである。
 日本の団塊世代のに関する本は、多数出版されているが、アメリカと中国と日本という三つの国の団塊世代の歩みにスポットを当てた本は恐らく初めてであろう。
 この本を読んでまず感じたのは、私自身の視野の狭さと探求心のなさであった。私自身は団塊世代の先頭を走っている。つまり、昭和22年生まれである。中学、高校、大学といつも「数の多さ」を指摘されてきた、あるいは意識してきた世代である。そのようなわけで、日本国内の団塊世代の動向にはそれなりに注目もしてきた。2001年10月には『団塊の逆襲』という本を自費出版もした。しかし、日本の同世代のことにばかり、関心を寄せて、世界の同世代のことを考えようともしなかった。その意味で、この本は私自身の視野の狭さと探求心のなさを自覚させる本ともなった。
 堺屋さんの序の一文がズキッと胸を刺す。そこには「日本の団塊の世代には、夢と確信を破られた不幸があるかも知れない。だが、人生のほとんどを通して、先輩たちの築いた体制と価値観に安住できた幸せは大きい」「それに比べると諸外国の同世代は、より劇的な人生を過ごした」とあったのである。
 思えば1970年に大学を卒業し就職した。高度成長の波に乗ったとはいえ、自分なりに必死になって仕事に取り組んできた。しかし、この『日本米国中国団塊世の世代』に紹介されたアメリカ、中国の同世代と比べたとき、正直、恵まれた環境で今日まで生きてきたという思いが更に強まった。
 "君たちに必要なことは「本当の新しい時代」を次の世代のために用意することだ"
この言葉は、私にとってとても重いものだ。(2009/08/02)


タイトル『堺屋太一の青春と70年万博』
著者三田誠広 発行所出版文化社 発行日2009年3月29日 定価1429円+税



 この本は芥川賞を受賞した作家の三田さんが堺屋太一さんにスポットを当てたものである。三田さんも団塊世代の一人であり、堺屋さんに影響を受けたひとである。堺屋さんとは、関西それも同じ町に住んだことがあるという縁にも驚かされる。
 この本にあるように、大阪万博は私にとってあまりにも強烈だった。1970年に就職したその年の社員旅行の行き先が大阪万博だったのである。この本を読みながら、39年前のことを懐かしく思い出した。
 会社の人たちと夜行寝台に乗って、朝、大阪のプラットホームに到着した。汽車のなかで、酒を飲み過ぎたせいか、同僚に起こされるまで大阪に到着したことを知らなかった。寝ぼけ眼で、浴衣を背広に着替えてホームにでた。みんなが集まっている所にいくと、なんと靴ではなく汽車に備え付けのスリッパを履いたままだったのに気づいた。あわてて、駅員さんに探して貰ったという苦々しい思い出がある。
 万博会場はすこぶるいい天気で、これからの日本のエネルギーの強さを感じたものである。
 この本を読んで、一番驚いたのは、万博の仕掛け人が堺屋さんだったことである。このことは、どこかで知っていたことを私が忘れたのかもしれないが、驚いた。
 三田さんのインタービュー力、表現力のなせる技なのだが、堺屋太一の類まれなる発想力と行動力が見事に描かれている。
 三田さんは、堺屋さんが警鐘をならしたことの検証をしていない政治家に、その政治姿勢を問いただしている。また、私たち団塊世代に対しても、堺屋さんの生き方を描きながら、どう人生を切り開いていくのかのメッセージを発信している。(2009/08/02)


タイトル『聞く力を鍛える』
著者伊藤 進 発行所講談社現代新書 発行年月2008年3月 定価本体700円+税

 人は話が上手になりたいと思っているが、聞くことを上手にとは特段思っていない。本著はこの話すことへの重み程には聞くことの重みがないことのアンバランスぶりはなにによるのかを追求しようとしたものである。具体的には「話上手」「話べた」「聞き上手」ときて、「聞きべた」とはなかなか言わないことを指摘しているのである。
 そして、著者はいまの時代は「聞く力」が低下しているのではないかと言う。それを一言で「カラオケ現象」と名付けた。つまり、カラオケの歌える店で歌っている人は一生懸命に歌っているのだが、周りの友達は聞いていないのだと言う。自分の順番が来たら何を歌おうか思案しているからだと言う。人の歌が終わったときだけなかば義理で拍手する。確かにこれは私も経験ある。それにしても、人の話をあまり聞かないことを「カラオケ現象」と名付けたのはうまい。
 聞く力を身に付けるには、日頃の相当なトレーニングが必要だと述べている。そのためにはコミュニケーションは分け合いだという基本を理解して、日々実践していくことが大切だと言う。人間には口が一つで、耳が二つあるのは、もっと人の話を聞きなさいということなのであろうか。いずれにしろ、人の話を聞くことは、その人を尊重するということにつながるわけで、対人関係において、とても重要なことである。自分にとって、都合の悪いことも時にはじっと耳を傾ける必要がありそうだ。(2009/04/23)


タイトル『子どもの「やる気」を引き出す』
 著者木川達爾 発行所教育出版 発行年1995年5月 定価税込1600円

著者は学校現場において長く教員をされてきた方である。それだけに、具体的事例が
わかりやすく取り上げられており、読者の理解を促進する内容になっている。その描
写は、読者がいままさに授業参観をしているような風景を思い出させてくれる。
「子どもの期待するよい授業」のなかで、理想的な教師像を提言している。子どもが
退屈する授業にするか、時間を忘れて集中して聞くかはひとえに教師の子どもに対す
る愛情と質の高い準備にかかっていると指摘している。「本気になれば、世界が変わる。自分が変わる。もし変わらないとすれば、本気さが足りないからだ」という言葉を引用
して、この言葉こそ教育に携わる者には大切であると語っている。この言葉は実感とし
て理解できる。私も、就職セミナーにおいて、話す内容、進め方などにおいて準備不足
のときがあるが、その時はやはり、学生の集中力は落ちるように感じる。著者が提言し
ているように、学生たちの内発的動機に配慮して、興味、関心を引き付ける授業をして
いきたいとつくづく考えさせられる一冊である。
 また、子どもの心を傷つける言葉と子どもの「やるき」を喪失させる言葉について、
取り上げているが、これらのことは何も学校現場に限らず、日常のなかでの私たちの対
人関係における表現についても参考になるものである。(2008/10/04)


タイトル『対話力を育てる』
著者多田孝志 発行教育出版 価格本体2200円+税

■著者は対話を以下のように分類している
1.指示伝達型・・・上下関係の対話 指示内容の正確さが重要
2.真理探究型・・・真理を希求する対話 「生きるとは」など。
3.対応型・・・・・自利益追求を基調に妥協点をめざす対話
4.共創型・・・・・参加者が協力して、よりよい結果を希求していき、その過程で創造的な関係が構築できる対話 多様な他者と理会し合い、良好な関係をもつことの困難さを実感しつつ、知恵やアイデア、体験などを出し合うことにより、つながり自体を良質なものに変換していく対話法である。目的を持った話し合い。
これらは分類としてわけられているが、それぞれがクロスして関わっていることを指摘している。
私はこの分類のなかで、共創型対話に興味をひかれた。この本を読もうと思った動機は、学生の対人関係の希薄さにこの対話力が大いに関係しているのではないかと常々思っていたことによる。

■本の中の「対話とは」で機能、特色、目的を解説している。その機能のところで、やはり対話力は人間関係を形成していくうえで大切であることを指摘している。また、その目的の説明で、「自分の伝えたいことを表現し、相手にそれを認識・理解・共感・納得してもらうことであり、相手の伝えたいことを認識・理解・共感・納得することにある」とある。このなかの共感が特に大切なキーワードではないだろうか。伝える人と聴く人の間に前提として、この信頼に基づく共感をお互いに持っているかどうかが対話による意思疎通がうまくいくかどうかを決めると言っても過言ではない。

■共創型対話における社会的礼儀をいくつか挙げているが、そのひとつに「なんでも思ったとおりに話せば伝わると考えるのは、率直過ぎる思い込みである」とある。この言葉は私たちが日常において、よく出会うことを語る言葉である。

人とのコミュニケーションに興味・関心がある人にお薦めの一冊である。(2008/08/31)


タイトル『よく生き よく笑い よき死と出会う』 
著者アルフォンス・デーケン 発行所新潮社 発行年2003年9月3日定価1400円+税

アルフォンス・デーケンさんはドイツ人の神父で、日本に30年前に来られて、2003年まで上智大学教授であった。先生のご専門は「死生学」である。この本は、その上智大学で2003年1月25日に行われた最終講義で話された内容でまえがきが始まっている。そのまえがきは、「人生は旅、人間は旅人」とタイトルがついている。とても示唆にとんだこのまえがきがとても好きである。以下、一部を紹介したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 人間はそれぞれの人生の旅を歩みながら、より「人間」としての完成に近づいていくわけです。人間とは、進歩し続ける存在で、永遠という大きなゴールに向かう巡礼者であると言ってもいいでしょう。
 人間が、旅の途中で、ほかの旅人に出会うことは重要な体験です。私は日本語の「出会い」という言葉が、とても好きなのですが、それは「出会い」には、狭い自己の殻から出て、心を開いて相手に会うという意味があるからです。
 出会いによって人間は成長する。出会う相手が偉大なる人格者であればあるほど、その出会いも深いものになるのです。
 そして旅には、出会いのほかにもうひとつの大切な体験があります。それは、転機、つまりターニングポイントです。
 人生の旅は、ただ簡単に他人と同じ道をたどれば良いというものではありません。あるポイントでは、勇気を持って右あるいは左へと、生涯の転機をも選ばなければなりません。とても、苦しい選択を迫られることもあります。
 人間は、人生の旅で体験した出会いと、選択した転機によって大きく形作られていくのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また、デーケン先生が影響を受けたフランスの哲学者ガブリエル・マルセルの5つのテーマが紹介されている。このなかで、「存在と所有」というテーマがとても印象的だった。それは、生きる経験を重ねてきた中高年のこれからは、物をもつことや所有を増やすことに執着するのではなく、「自分は誰であるか」という「存在」を重視していかなければならないというものであった。

デーケン先生のことは一応、知ってはいたが、本を買ったことはなかった。今回、本を買おうと思ったきっかけは、ある雑誌のPR欄に「考えてもしょうがないことを朝晩考えるのはエネルギーの無駄遣いです」というデーケン先生のコメントが掲載されていたことを見たことだった。
私は、この本をこれから何度も読み続けるだろう。(2008/07/06)


タイトル『暴走老人』
著者藤原智美 発行文芸春秋 発行日2007年8月30日 定価1000円+税

 いま、売れている本である。まずタイトルが刺激的で多くの中高年の目に留まっていると思われる。「キレる大人」などの言葉がマスコミに出ているせいでもあろう。だが、この本はキレる大人や年寄りたちへの批判をまとめあげたものではない。中高年や老人がキレる社会構造や社会背景に目を向け、いまのスピード社会や情報化社会に追いついていけない苦悩をあぶりだしている。
 また、その一方、私たちの頭の中にある理想としての中高年像、年寄り像にも警鐘を鳴らしている。
 序章に「心地よい老人論の落とし穴」の中で、具体的には「老人パワーを賛美するような言説も散見される」「老人の姿をことさら美しいイメージでとらえる傾向が最近のメディアでは強くなっている」。しかし、「そこにはリアリズムが大きく欠けている」と指摘している。つまり、老後の生き方はかくあるべし、美しい年寄り・かわいい年寄り、仕事にポジティブに生きる達人などの枠に縛られているとあまりろくでもないということだと思う。
 結局、いまの社会にどう生きていくか、なんて大上段に構えてみてもしかたがない。自分の中の不安や葛藤などを抱えつつも、ドタバタしながら生きていくしかないのだ。社会の新しい変化に合わせられると思えば合わせていけばよいし、合わせられないと思えば無理して合わせなくてもいいのではないか。「仕方ないじゃないか」「まあまあではないの」「そんなもんだろう」などの言葉が思い浮かんだ。
 ファーストフード店での注文のとき、機械的な対応や受け取りの仕方に戸惑ったり、電車に乗るときのパスモのチャージの仕方がわからなくて、機械の前で立ちすくむときがあっても、恥ずべきことではないのだ。人間社会、便利や効率だけ追い求めていくと、心を無くしていきがちだということを忘れたくないものだ。(2008/02/02)


タイトル『ひきこもりの国』
 著者マイケル・ジーレンジガー 発行光文社 発行日2007年3月30日 定価本体1800円+税

原題は「SHUTTING OUT theSUN」である。「太陽(ひ)を閉ざす」などの意味だろうか。
はじめに著者は「日本の読者へ」と題して次のようなメッセージを寄せている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2007年の日本は、あいかわらず、ひときわ豊かで平和な国である。しかし、国民の大多数、とくに若年層は、驚くほどの無力感と厭世観に支配されている。多くのアジアの隣国、ことに中国や韓国とは対照的に、日本国民は将来に不安を感じ、揺るぎない安定を脅かしそうなグローバル化の急速な進展に神経を尖らせ、日本固有の文化を織りなす繊細な糸がみるみるほつれていくのではないかという恐怖感に襲われている。さらに、世界の他の国々が、劇的な変化を望み、それを必死で追い求めていることに、日本人はしぶしぶながら、ようやく気づきはじめ、混乱と不安定化が顕著な新しい世界情勢に、より迅速かつ効果的に適応しようと努力しはじめたところである。
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そして第1章「自分の奥深くに突き刺さった矢」のなかで、持たざる者のひとつの塊としてひきこもりの人たちのことを取り上げている。著者は彼らを「たんに甘やかされて育った怠け者」という見方ではなく、「同一性社会に対する異議申し立て者」なのだと見ている。この見方に私は共感を覚える。

いま、私はあるひきこもりの若者と数年にわたり、メールのやりとりをしている。だから、この本を読もうと思った直接な動機はこの本のタイトルにあった。また、日本人のブランド崇拝の異常なまでの欲求に日ごろ、違和感をもっている私にとって、この消費行動にも目を向けているのにも興味深かった。

この手の本でいつも思うことは、外国人でありながら、あるいは外国人だからこそというべきか、今の日本を的確に観察し、批判がましくなく精緻に言い表していることに驚くのである。日本の作家では書けないとつくづく思う。

この本が思ったより読みやすいのは、翻訳者の河野純治さんの翻訳力によるところが大きいと感じた。

なにか気ぜわしい日本、閉塞感がありながら、それを突き動かす運動が見られないいま、自分はどう生きていくのかを考えるきっかけを与えてくれる一冊である。(2008/01/21)
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